『終わりの日の預言』の周辺情報!!
- 2008/05/09(金) 19:45:37
『終わりの日の預言』の周辺情報!!
ハナンエルの よい知らせ!!
どのよように、お感じになるだろうか。下記の『招集宣言』。何度も読み返した。まことにまことにもっともな詔であると、思う。『人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠(ほふ)られる獣に等しい。』とは、現状を的確に表して余りある。
現状を、栄華にあふれたこの上なく、この時こそ、すばらしい楽園の始まりと観る者には、この言葉は無縁かもしれない。何故、裁かれなければならないのか と、理解できないかもしれない。人間は獣ではないのである。悟りを得て、主の期待に応えなければならない存在なのである。
獣は、屠られるまで楽園に生き、あるいは楽園であるか否かの認識もなく思いのまま生かされ、突然、死(屠られる)を迎える。それが宿命であり、慈悲でもある。
しかし、人間は主の意思を悟り、その慈悲に応える宿命にある。いやが上にもその約束(契約)をして、人間として今生に生まれたのである。ただ、生きるため に生まれたのではない。約束(契約)の上、生まれたのであるから万人は主の民と言えよう。それを地上の栄華に酔いしれて、忘れたか、栄華のために執着して その主人公のごとく振る舞っている。それが反逆である。
だから震う、と仰せになる。至極もっともな仰せである。
言葉は激しいが、慈しみにあふれている。これぞ主の詔と感じられるがどうだろうか。そして、おもしろいことに(オモシロイと言っちゃあ、ひどく不謹慎だ が)主は、反逆者を罰し、滅ぼしたことにより、主の栄光を示すことが出来なかったと嘆かれる。これぞ慈愛の極致を見た思いをするが、いかがであろうか。
何の背景もなく、ただ、この言葉に触れただけである。何度読み返しても、この詔は慈悲・慈愛に富み、父母の子を待つ思いにダブって泣かされる。故に、本物である。
【転載開始】
主なる神は“主の民の召集”について言われた
人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠(ほふ)られる獣に等しい。
神々の神、主なるわたしは、言葉を発し、日の出るところから
日の入るところまで、地を呼び集める。
うるわしさの極み主の神殿から、わたしは顕現(けんげん)する。
あなたたちの神は来る、黙してはいない。
わが前を火が焼き尽くして行き、わがもとには嵐が吹き荒れている。
「わたしの前に集めよ、わたしの慈しみに生きるものを、
罪の告白を供えてわたしと契約を結んだ者を。」
わたしは彼らの前から悪を取り除き、彼らの嗣業(しぎょう)を
測り縄で定め、わが栄光を与えた。
彼らはいと高き神を試み、反抗し、その定めを守らず、先祖と同じように背き、
裏切り、欺く弓で射た矢のようにそれて行き、異教の祭壇に仕えて神を怒らせ、
偶像を拝んで主なるわたしの激情を引き起こした。
主なるわたしは聞いて憤り、彼らを全く拒んだ。
彼らが再び生きることはなく、彼らは死霊であって、再び立ち上げることはない。
それゆえ、わたしは逆らう者を罰し、滅ぼし、彼らの記憶をすべて無に帰した。
彼らのゆえに、主なるわたしは民を増やすことができず、
栄光を示すことができず、その境を四方に広げることができなかった。
世界は固く据えられ、その座は決して揺らぐことはない。
その座はいにしえより固く据えられ、彼はとこしえにその座にいる。
彼は主の民以外には呼ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
そして傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、
裁きを導き出して、確かなものとする。
秘められたところで主の神殿は造られ、主の召集の憐れみのわざは織りなされる。
わたしには、わたしが召集しようとする者らの骨も隠されてはいない。【転載終了 続く】
この記事に対するトラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事にコメントする
- HOME |



この記事に対するコメント