酒鬼薔薇(サカキバラ)事件や、無差別殺人の深層!!
- 2008/06/10(火) 15:30:37
思うに、人間の深い闇を覗く思いがする。しかし、何故、そのような闇の所業を行うに至ったか、と考えると、とうてい解答は見えない。犯人とて、その理由を 見いだすことは容易でなかろう。そして、視よ、成し遂げた後の犯人の憔悴しきった哀れな脱力感を.....。闇そのものがそれを必要とし、彼らを駆り立て たのである。
闇は光を嫌う。光があれば、避けるか、さもなくば光そのものの抹殺を願う。その為に、闇の増殖を意図する。闇とは、不幸であり、不幸と思う心である。光とは輝きであり、命を謳歌する心である。命とは光そのものである。
光 によらぬ命は存在しないと同じく、闇は光によって相対化される現象である。闇をも光に依らずしてその存在はあり得ない。にもかかわらず、闇を粋がるのは闇 の特徴。闇を誇る病み、あたかも闇が個性を主張する自己顕示性、丁度、病人が病状を誇張するかのごときである。その原動力が、光によるものであるにもかか わらず、己の闇が恰も原動力であるかのごとく錯覚をする。そして、より多くの闇の拡大生産を願う。
それは、所詮無理・無謀な思い違いで あるにもかかわらず、そう思いこんでしまっている。そこに付け入るものがあるとひとたまりもない。そして、その付け入ったものは囁きかける。『そうだ、汝 こそ偉大なる闇の勇者である。善などない。闇こそ全ての全てである。闇を広げよ。その先に光はある。汝こそはその最終の光に輝けるものなり』と。
サタニストが、常に真・善・光を冒涜することが、その儀式であるごとく、日夜そうしていると、その転倒が当たり前の信念となる。理性を失っているのではない。理性でもって闇を信念するようになる。
そして、多くは明らかにされないが、『耳元でささやいた』。その姿は洋として知れない。その正体は、獣へんの王、『狂』という。しかし、実体あるものである。最近はその正体を『電磁波』という科学が担い、助長するテクノロジーが実用化されているとも聞く。
いずれにしても、昨今の闇のあがきは目に余るものがある。末法の世とはこの事であろうか。




